昨年12月29日の記事「会議にエバリュエーションプランを設定する」に引き続き、エバリュエーションプランについて書いてみます。我ながらよほどこだわりがあるんだなと思っています。

 企画書には、目的とかネライとか書いた欄が必ずありますよね。この欄、どのように見ていますか? 筆者がずっと若いときは次のように思っていました。「こんなのは「飾り」じゃないか、重要なのは中身だよ、しかし書類の最初の方にあるし、大切そうに見えるので、何か書かないとまずいだろう、めんどくせーなあ。」と思いながら、ちょっと気取った言葉を使って文章を埋めていました。以前いた会社でも、この部分自体にはあまりふれることをせず、すぐ中身の議論をしていたように思い出されます。でも、目的ってほんとに大切なのだな、と次第に思うようになりました。なぜなら、目的をはずしてしまうと、どんなに精魂こめて検討して作成した企画も、意味を成さないからです。考えれば当たり前のことです。

 ちなみに筆者は15年ほど前(ずっと昔だあ)に、VE(価値工学)とか、日比野省三氏の「企画計画実行の法則」を勉強して目的志向に傾倒した時期がありました。それ以後、物事を計画する時には、「目的」を大切にはしてきました。しかし、それでもなお、高尚な言葉でカッコつけた文章を書く自分がいたことを否めません。そんな目的は意味を成さないと思うのですが、社内文書などで目的を記入するフォームがある場合は、あまり砕けた表現もできないので、そうなっていたように今は思います。

 そのような中で出会ったのが「エバリュエーションプラン」という言葉なのです。エバリュエーションプランでは、それが終わって、誰がどうなっていたらいいのか(どういう状態か、どういう行動か)を自分で考えて文章にして見ます。それを関係者と共有します。具体的な言葉で平易に書き表すので、却って内容を練り上げるために威力を発揮します。

 ちょっと事例をご紹介しましょう。最近、新入社員向けの研修の内いくつかのコマの企画を作成しました。たとえば「論理的話法」というコマでは、従来は目的として、「新入社員がビジネスにおける話の仕方を学び、論理的話法についての知識を得る」といったものにしていました。(さすがに2時間程度の研修で論理的に話せることは目的にしていませんでした。) この目的はこれいいのでしょうが、ではこの研修が終わった時に、彼らがどういう状態になったらいいのか、ここを徹底的に考え、エバリュエーションプランを設定したのです。その結果、それは「彼らが、話を始める前に、(何を話すのか、誰に話すのか、何のため話すのかを)整理するプロセスが加わるようになる。」としたのです。

 「論理的話法」いうと普通はロジカルシンキングに代表されるようなスキルが中心になると思います。そのことは確かに重要な考え方であり、スキルといえます。トレーニングも必要です。しかし、そのスキルを駆使する前に、これから話す目的は、アイデアを採用してもらうためなのか、相談するためなのか、単なる報告なのか等、自分はこれから何のために話すのかがまず重要です。そしてそれは誰(どんなことを知っているのか、どんな考え方をする人か)にするのか、これらをまず整理することが必要になるのです。中には部分的に自明なものもありますが、まずここから考えることによって、どのように話すのか、つまりどんなスキルを使うのかが選択できるようになるのです。

 こんな議論をして、今度の「論理的話法」の研修は、話す「目的」「相手」「内容」をまず整理することの重要性を体感する内容を盛り込んだものにしたのでした。それまでは「どのように話すか」つまりスキル一辺倒だったのが、もっと腹に落ちるものになった気がします。

 エバリュエーションプランは目的に心を与えます。 
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by atanabe-coach | 2009-01-28 00:03
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